■城江大学とその周辺の都市開発(1930〜)

 城江県北部の新たな発展を目指して開通した城江急行は、1930年代初頭、城江県との共同開発により宿井市に大学を誘致、周辺に良質な住宅を開発するという都市計画に乗り出しました。 結果的に城江市中心部に本校舎を置く城江大学の理工学部の誘致に成功、大学周辺は高級住宅街として発展しました。



■宿井花園都市計画(1963〜)

 1963年、城江急行本線の城江大学〜本宿井のルートが、いままでの湖畔を縫うようなルートから、宿井山山麓をトンネルでショートカットするルートへと線形改良が行われました。  線形改良によって新たに生まれたルートは、宿井山山麓のなだらかな丘が広がる、未開拓の自然豊かな土地でした。  そこで、城江急行は城江大学都市計画で培った経験を生かし、宿井山山麓に人口20万人のニュータウンを作るという広大な都市計画を持ち出します。

 地名の「宿井」とガーデンシティを和訳した「花園都市」を合わせ、「宿井花園都市計画」の名の基開発に乗り出した城江急行は、城江大学都市計画で比較的地価が上がっていた宿井市の土地を上の地図のように大量に買い占め、都市計画の中心地である駅を「宿井花園駅」と命名します。そしてまずは宿井市若塚駅付近の開発を始めるのですが、大量の戸建の建設にあたり土地の買収費にあわせて固定資産税の支払いが追いつかなくなってしまいます。このため一旦買収した一部の土地を売り払うことになるのですが、 これが後の都市計画の負い目となります。

 城江急行が売り払った土地を第三者の不動産がここぞとばかりに買い占めたのです。もともと山がちで、住宅適地が少ない城江市近郊において、線形改良によるフロンティア開拓は城江をホームタウンとする不動産業者には願ったり叶ったりであったのです。そして、新たな土地を勝ち取った数々の不動産業者達は、戸建中心だった花園都市計画とは相反してマンションや団地を大量に建設し、城江急行の意図していた宿井市の理想像とは異なった方向へと町は成長していきます。

 第三企業によって乱開発された宿井市は90年代には当初の計画人口を上回る25万人に達し、城江急行本線は首都圏の路線並のたいへんな混雑に悩まされることになります。



■ガーデンシティ大雲(1995〜)

 宿井市の乱開発によって混雑に悩まされていた城江急行は、 ほとんどの通勤客が宿井から城江に向かうという構図を打破するために1990年代にガーデンシティ大雲を計画します。

 ガーデンシティ大雲は一般的なニュータウンとは異なり雇用も兼ね備えた都市として計画されました。2001年にガーデンシティ大雲の生命線であるガーデンシティ線が開通、ガーデンシティ大雲の開発によって宿井市の人の流れが変わることが期待されています。



▼城江線の乗降人員数。宿井花園都市の範囲である宿井花園〜本宿井に乗客が集中しています。
城江
310,000
県庁前
60,000
淵田小路
75,000
大矢野
9,000
卯ノ宮
19,000
馬野沢
26,000
佐田木平
11,000
安里
7,000
城江大学
34,000
宿井ケーブル
600
宿井花園
77,000
若塚
36,000
本宿井
56,000
仙野
22,000
古神
13,000
烏宮
31,000
和香台
3,000
武住 ※1
40
白荻王寺
700
白荻町 ※2
39,000
※1 武住駅は駅周辺が国定公園に指定されており、武住駅周辺に民家はほぼ皆無です。
※2 白荻町の利用客には、鹿野森林軌道への直通客も含みます。
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