■花園都市の概要

 通称「花園都市」と呼ばれる宿井花園都市は、城江急行が城江県の宿井山麓に造成した田園都市型のニュータウンです。 1963年に城江急行本線、城江大学〜本宿井のルート変更と高速化工事が行われ、新駅が設置されたと同時に始まりました。自然豊かな宿井山麓と都市の共生をコンセプトに、「宿井花園都市計画」は始動。2014年現在、花園都市の人口は21万人を数え、 首都圏以外のニュータウンとしては最大級の規模を誇ります。

 これには、城江都市圏が山がちな地形で住宅適地が少ない大都市だったという特殊性、バブル崩壊以降の景気の煽りを受ける前に造成がおおよそ終了していたこと、などの理由があげられますが、そういった好条件が逆に第三者の不動産業者の介入をまねいてしまい、当初の計画以上の人口が集まってしまったのは、この都市計画最大の汚点でもあります。



▲宿井山麓の北西に位置するのが宿井花園都市

■戦後の人口増にインフラが追いついていなかった城江都市圏

 戦後の人口増は、前述の通り山がちで住宅適地の少なかった城江都市圏において、インフラ整備の遅れを顕著にするものであり、都市計画の大きな課題としていました。しかし、それは不動産やサービス業の分野において、新たな需要を生み出す可能性を秘めていたのも事実でした。
 その需要を予測していた城江急行幹部らは、城江市近郊においてまだ未開拓であった宿井山麓の北東地区に目を付けました。そして、城江市にあふれる人口を宿井山麓のニュータウンへ分散させ、更に不動産や百貨店を経営し、宿井山麓のデベロッパーとして城江急行の新たな経営の柱にする、という計画を持ち出したのでした。1957年のことです。

 もともと沿線人口が少なかった本線の宿井湖畔エリアを切り捨て、線路を東側の高台に移した城江急行。移設した新しい軌道に設置した宿井花園駅周辺へと、自然豊かで閑静な住環境を求めた人々が宿井山麓へと移り住み、開発から数十年で立派な衛生都市として発展。城江市の人の流れは大幅に代わったのでした。
 このビジネスモデルは、城江都市圏でもニュータウン事業は成功し大きな利益を獲得できる、といういい前例となり、都市基盤整備公団による東城江丘陵開発のきっかけともなったのでした。城江市街中心部のインフラ整備の遅れも解消され、城江都市圏は首都圏、京阪神圏、中京圏に次ぐ第四の都市圏として発展を続けていくのでした。


■開発開始から半世紀を迎えて

 近年のニュータウンの老朽化や高齢化などの諸問題は、花園都市も例外ではありません。高齢化に伴う沿線のモータリゼーション化は、鉄道利用を前提とした花園都市の設備不足に繋がっており、大きな課題となっています。
 近年では、多種多様な住民のニーズに応えられるよう、花園都市のコンセプトを「自然との共生」から「ゆとりのある都市」へと路線を変更。福祉や介護、その他サービス業のバランスのよい発展が望めるよう、自社グループ以外の企業の参入を促すなど、沿線価値の向上に務めています。


 また、90年代から現在まで城江急行が取り組んできた本線の混雑緩和ですが、花園都市の高齢化などの理由から2015年度をピークに混雑率が下降する予測が出されています。インフラにおいても10年、20年先のことを踏まえた設計やデザインが必要となってくるでしょう。鉄道車両なんて大事に扱えば半世紀以上使えるのに関わらず、コンセプトに先見の明がない場合、それだけで車両の寿命を縮めてしまうことになるのですから。






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